じつは世界が反日なのかもしれない。
昨年米国のボストン美術館を訪れたときのことだ。戦争をテーマにした展示コーナーに、ヒトラー、ムッソリーニと並んで昭和天皇の戦争責任を問うイラストが当たり前のように展示されていたのを見て驚いた。また、ニューヨークでタクシーに乗車したとき、アフリカから米国に来たばかりの移民の運転手に、「君たちは日本人だよな」といきなり話しかけられたときも驚いた。今や中国人や韓国人観光客のほうが日本人よりもはるかに多いのに、どうして日本人とわかったのかと聞いたら、「だって、呼び出し人としてスマホに表示された名前(そのタクシーを呼んだ知人の名前)に『HIRO』と入っていたから。HIROHITO(裕仁)と同じ日本人だとすぐにわかるよ」と言うのだ。
この二つのエピソードは、「日本人=天皇=ファシズム」という連想がいかに浸透しやすいかを物語る。
古賀茂明「過去の戦争責任を忘却しきった日本」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
これは極端な事例だったかもしれない。
実際は、米国に旅行に行っても、こんなに分かりやすく反日と思わせるような出来事には遭遇しないかもしれない。
と、これはみんな「かもしれない」という空想だ。
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」で展示された昭和天皇と思しき写真を焼いたという作品「焼かれるべき絵:焼いたもの」(出展作家 | 表現の不自由展・その後)。
この作品は「平和の少女像」よりも多くの批判が寄せられたという報道を見た気がする。
ヒトラー、ムッソリーニの写真を焼いても、日本人も、他の国や地域の人々も、だれも文句は言わないだろう。
では、昭和天皇はどうだろうか。
その反応はすでにわかっている。多くの人がショックを受けた。
そうだった多くは日本人だろうか。
では、上述のタクシー運転手はどうだろうか。ボストン美術館の展示を見た人はどうだろうか。
あるいは日本以外の人々は。
ヒトラーやムッソリーニの場合と同じかもしれない。
あくまでも「かもしれない」だが。
「平和の少女像」はバルセロナで展示されるべく購入された(展示中止の少女像、海外実業家が購入 来年展示へ:朝日新聞デジタル)。